佐渡歴史:写真撮影:2014.01.18
左は山道?接近して撮影もしてみましたが、はっきり分かるのは右相川道の文字だけです。小木から上陸した者が相川へとたどった旧街道。相川街道。もちろん相川と言えば佐渡奉行所のある町でした。
金銀でにぎわった佐渡。いわゆる江戸幕府における佐渡奉行とは遠国奉行の一つとして、それなりの存在感があったと思われます。そことの往来の道ですから、離島のそれと言いましてもちょっとした街道となりましょう。もしかしましたら金山労働者として連れられてきた無宿人達を載せたカゴもここを通ったのかも知れません。
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map-01 国土地理院 +印付近を見ています。
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指示に従い相川街道側へと少し行ってみました。道の左手に溜め池があるところで天保義民宮岡豊後生家跡・奥津城と記された標識があります。天保義民。佐渡では大きな一揆があった事は歴史の教科書にすら載っています。義民善兵衛さんとどんな関わりがあるのか。詳細はおって調べるとして、今回は存在の紹介に留めておきたいと思います。
Photo-05 天保義民の標識
Photo-06 辞世の句があります。一揆後処分された方だなと..
Photo-07
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写真撮影:2014.01.18
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2014年 地理の部屋と佐渡島 sadorekisi
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